変わりゆく大塚とともに歩んできた|サロン・ド・フィーユ 檜室眞智子さん

大塚人インタビュー

「人とのつながりが残る街であってほしい」そう語るのは、大塚で美容室『サロン・ド・フィーユ』を34年間営み続けてきた檜室眞智子さん。

生まれも育ちも大塚。
この街で暮らし、さまざまな街の変化を見届けてきました。

美容師としては、手荒れで爪が無くなってしまうほどの辛い思いを味わい、仕事を辞めようと思ったこともあるそう。それでも美容師として続けてこられたのは、お客様とのつながりがあったことが理由だといいます。

今回のインタビューでは、美容師を志したきっかけや挫折の経験、仕事をする中で大切にしていること、大塚の今と昔の変化など、大塚についても語っていただきました。

迷いながらも選んだ「美容師」という職業

私の家族は、母も姉も美容師として働いているため、私も「どんな職に就くとしても、何かあった時のために美容師免許だけは取っておきなさい」と言われて育ちました。そのため、今で言うダブルスクールという形で、高校に行きながら夜間の美容学校に通っていました。

高校卒業後は不動産屋さんでアルバイトをしていたのですが、当時は不動産がすごく儲かっている時代だったので、宅地建物取引士の資格を取って美容師ではなく不動産業界で働こうかな、と本気で思ったこともあります。

ですが、そんな中で美容師の国家試験に合格した時に、「美容師の資格を取るためにすごく苦労したのに美容師をやらないのはもったいないかもしれない」と思って、潔く不動産会社のアルバイトを辞めて美容室に勤めました。

2年間勤務した後、オーストラリアにワーキングホリデーで留学したり、帰国後にエステ業界への転職も経験したりしたのですが、最終的には美容師の仕事へ戻って今まで続けています。

25歳での独立、店名『サロン・ド・フィーユ』に込めた想い

25歳の時に独立して『サロン・ド・フィーユ』をオープンしました。フランス語で「娘」という意味の「Fille(フィーユ)」が由来です。

ところが、30周年記念のタイミングでチラシなどの制作をデザイン会社に相談した際に「このスペル(feuille)だと”葉っぱ”という意味になりますよ」と言われたんです。オープン当初に看板やロゴを作った時に「フィーユ”娘”という意味です」と伝えてデザイン会社に任せて制作していただいたので、間違っているとは思わず驚きました。

それに気付いた後も特に何も変えることなく、看板もロゴも全部そのままです。(笑)

母と姉が別の場所で美容室を営んでいたのですが、実家が所有しているこのビルに空室があって、ローンの返済が厳しい状況でした。そこで、私が美容室をオープンして家賃を入れてくれないか、という話になりました。

エステ業界に勤めていた時に店舗運営について学んでいたので、「ノウハウは分かっている」という自信はありましたね。そのような経緯で、25歳で独立して店をオープンしたんです。

最初は2階だけでスタートしたのですが、想像以上に忙しくなって10ヶ月後には1階もオープンしました。最盛期には1・2・3階を使って営業していましたね。

多忙な日々と深刻な手荒れで感じた挫折。その中でも大切にした”お客様とのつながり”

美容師として忙しく働いてきた中で一番辛かったのは、爪が無くなるほどの手荒れを経験したことです。

雑巾も絞れないし、自転車のブレーキも握れないし、つり革も持てない。ジャンケンのグーもできないくらい。その間に出産も経験したのですが、赤ちゃんの肌に触れると切れてしまうくらい手がボロボロでした。そのときは「もう無理、辞めたい」と本気で思いました。

でも、自宅の住宅ローンも実家のビルのローン返済もあったので、辞めるに辞められなかったんです。

そんな中でも、34年もの間お店を続けてこられたのは、”お客様とのつながり”を大切にしてきたからだと思います。

お客様の中には3週間に1度のペースで来てくださる方もいて、そのようなお客様とは親戚以上に顔を合わせるので、体調の変化や悩み、日常生活の悩みなど、お悩み相談所のようにお話を聞いています。
そうすると、お金を頂いているのはこちらなのに「ありがとう」「話せて良かった」と言っていただけるんです。その時に、「この仕事をやってて良かった」とやりがいを感じられます。

商店街が栄えていたころの大塚と丸の内線の秘話

私は生まれてからほとんど大塚を離れたことがありません。他の場所に居たのは、オーストラリアに行っていた1年間だけで、結婚してからもずっと大塚に住んでいます。だから、私は大塚の変遷を長年見てきました。

『サロン・ド・フィーユ』の開店当時の大塚には商店街があって、商店がたくさん立ち並んでいました。このお店の通りも商店街でしたし、このビルを建てる前は父が八百屋をやっていました。布団屋さんや電気屋さん、レコード屋さん、和菓子屋さんもあって、小さいながらも商店街として成り立っていたんです。

でも、お店での売上よりも建物を貸す家賃収入の方が大きくなるということで、みんな店を辞めて商店街も解散してしまいました。

それと、昔は大塚駅の北口と南口で断裂がありました。当時は細い道か改札を通らないと反対側に行けなかったんです。でも、南北通路ができてからは行き来もしやすくなって、合同でイベントが開催されることが増えてきた印象です。

また、丸の内線が今の新大塚駅の場所にできたのも、様々な背景があるんです。そもそも丸の内線が出来た当時は大塚駅には国鉄がありましたし、都電の終点が大塚駅でした。

だから、本当は丸の内線も大塚駅にあった方が便利ですよね。
でも、当時の商店街の人たちからの「丸の内線が出来ると銀座などに人が流れてしまう」という反対があって、今の新大塚駅ができたそうです。

もし、大塚駅側に丸の内線が出来ていたら大塚はもっと栄えていたかもしれないですね。

”つながり”と自然が感じられる街であってほしい

これからの大塚も「人とのつながりがあって、自然も感じられる街」であってほしいと思っています。

美容室をやっていいて3週間に一度必ず来ていたお客様が来なくなると、「あれ?」って思うんですよね。独居の方も多いですし、ちょっとした変化に気づくこともあります。
あとは、髪を切るだけではなくて、スマホがわからないから見てほしいとか、ちょっと話を聞いてほしいとか、そういう関係が自然にできている。それって街の”つながり”だと思うんです。

今はマンションが増えて、隣に誰が住んでいるのかわからない時代ですけど、声をかけ合える関係がある街であってほしいなと思います。それと、豊島区は一時「消滅可能性都市」と言われました。子育て世代を増やそうといろいろな取り組みをしていますが、交通は便利だけど自然が少ないですよね。
埼玉県秩父市といった姉妹都市と交流して農業体験ができるなど、そういう仕組みがあればいいなって思います。

便利さだけじゃなくて、人とのつながりと、ちょっと自然もある街。そういう大塚であってほしいなと思っています。

それから、大塚には昔から続いているお店がたくさんありますよね。

「洋食GOTOO」さんは、昔は本当にカウンターだけの小さなお店でしたが、今はメディアにも出て行列ができるくらい繁盛しています。ママも93歳(2026年3月現在)でお元気で、本当にすごいなと思います。

最近は「めし道楽」さんや、大塚三業通りの「和由」さんに行くことが多いです。「和由」さんはランチもやっていて、珍しいクジラ料理も出しているので気に入っています。

こうして昔からのお店が続いているところも、大塚の魅力だと思っています。

大塚をひとことで表すと?

『新しさと伝統のある街 大塚 大好き♡♡』

昔あったものを、今の形で再現するような近代的なものもありつつ、昔の良さを残すことに尽力する方もいらっしゃいます。そういう街がいいかなと思っています。スーパーも増えましたし、高齢の方には住みやすい面もあると思います。

なるべく自分の足で立って、自分の足で歩いて、健康でいたい。リッチとまではいかなくても、少しゆとりのある、楽しい老後を送りたいです。

店名サロン・ド・フィーユ
場所東京都豊島区南大塚3丁目2-9 新大塚YKビル

GOtsukaを運営する㈱アナザーパスのインターン・ライター。最近大塚で働き始めた大学生です。おじさんが好きそうな食べ物が好き。大塚のマイナーグルメを発掘して、どんどん体重を増加させたい。